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熊本地方裁判所 昭和51年(行ウ)10号 判決 1988年7月18日

原告

東矢徳男

原告

家入淳

原告

吉岡栄喜

亡金原幹訴訟承継人

原告

金原清子

原告

金原雅紀

原告

金原美根子

原告

石丸はるみ

原告

伊豆野吉幸

原告

本田勉

原告

中村豊

原告

原田正士

原告

大山一雄

原告

浅田融

原告ら訴訟代理人弁護士

後藤昌次郎

戸谷豊

被告

熊本貯金事務センター所長帯田文汎

右訴訟代理人弁護士

伴喬之輔

右指定代理人

烏山克

南新茂

崎山正春

福山俊光

高橋亨

安藤三男

小田原浩二

岡本洋一

野田英伸

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が昭和五一年三月一六日付で原告ら(但し、承継前原告金原幹は昭和五六年一二月一九日死亡)に対してなした別紙処分一覧表記載の処分を取消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告らのうち、原告金原清子、同金原雅紀及び同金原美根子を除くその余の原告らは、訴外熊本地方貯金局(以下「局」という)(但し、後記4のとおり、現在は熊本貯金事務センターに組織改正された。)に勤務する郵政労働者で、郵政労働者約二一万名で組織する全逓信労働組合(以下「全逓」という。)の組合員であり、原告金原清子、同金原雅紀及び同金原美根子は、同じく局に勤務し、全逓の組合員であった金原幹(昭和五六年一二月一九日死亡、以下「亡金原」という)の相続人である。(以下、原告金原清子、同金原雅紀及び同金原美根子を除くその余の原告ら及び亡金原幹を総称して「原告ら」と呼ぶことにする。)

2  局の当時の局長であった櫨山亮和は、原告らが、(一)昭和五〇年一一月三〇日から同年一二月一日にかけて同局でなされたストライキに際して指導的行為を行う等したこと、(二)同四九年四月一三日みだりに勤務を欠いたこと、以上を理由に、原告らに対して、別紙処分一覧表記載の懲戒処分(以下「本件懲戒処分」という。)をした。

3  しかし、原告らは、本件懲戒処分の理由とされる行為をしていないし、本件懲戒処分は、原告らの労働基本権を侵害する違憲、違法な処分である。

4  郵政省設置法の一部を改正する法律(昭和五九年法律第五一号)第六条第九項、第七条第六項、昭和五九年郵政省告示第四六〇号別表により、局は熊本貯金事務センターに組織改正され、郵政省職務規程別表第二(第七条関係)により、原告らに対する懲戒権は被告に権限の委任がなされた。

5  よって請求の趣旨記載の判決を求める。

二  請求原因に対する認否

請求原因1、2及び4は認める。(但し、請求原因2のうち、処分理由(二)は、「昭和四九年四月一三日違法なストライキに参加し、みだりに勤務を欠いた。」というものである。)同3のうち、原告らが本件懲戒処分の理由とされる行為をしていないとの点は否認し、その余は争う。

三  抗弁

1  原告らの昭和四九年四月、同五〇年一一月及び一二月当時の局における勤務関係

(一) 原告東矢は、昭和四九年四月当時は同局第五貯金課に、同五〇年一一月、一二月当時は同局第六貯金課に勤務する郵政事務官であった。

(二) 原告家入は、昭和四九年四月、同五〇年一一月、一二月当時いずれも同局第四貯金課に勤務する郵政事務官であった。

(三) 原告吉岡は、昭和四九年四月、同五〇年一一月、一二月当時いずれも同局第六貯金課に勤務する郵政事務官であった。

(四) 亡金原は、昭和四九年四月、同五〇年一一月、一二月当時いずれも同局振替課に勤務する郵政事務官であった。

(五) 原告石丸は、昭和四九年四月、同五〇年一一月、一二月当時いずれも同局第五貯金課に勤務する郵政事務官であった。

(六) 原告伊豆野は、昭和四九年四月当時は同局第一貯金課に、同五〇年一一月、一二月当時は同局第二貯金課に勤務する郵政事務官であった。

(七) 原告本田は、昭和四九年四月、同五〇年一一月、一二月当時いずれも同局第三貯金課に勤務する郵政事務官であった。

(八) 原告中村は、昭和四九年四月、同五〇年一一月、一二月当時いずれも同局第四貯金課に勤務する郵政事務官であった。

(九) 原告原田は、昭和四九年四月当時は同局会計課に勤務する事務員であり、同五〇年一一月、一二月当時は同課に勤務する郵政事務官であった。

(一〇) 原告大山は、昭和四九年四月当時は同局第三貯金課に、同五〇年一一月、一二月当時は同局第五貯金課に勤務する郵政事務官であった。

(一一) 原告浅田は、昭和四九年四月、同五〇年一一月、一二月当時いずれも同局振替課に勤務する郵政事務官であった。

2  全逓の組織における原告らの地位

全逓は、郵政職員等によって組織されている組合であって、中央本部のほか、下部組織として、地方本部、地区本部及び支部があり、また、一般に支部の補助組織として分会がおかれているものであるが、昭和五〇年一一月及び一二月当時、原告東矢は全逓熊本地方貯金局支部(以下「支部」という。)支部長、原告家入は同支部副支部長、原告吉岡、亡金原、原告伊豆野、原告中村、原告石丸、原告原田は同支部執行委員、原告本田は同支部第三貯金課分会分会長、原告大山は同支部第五貯金課分会分会長、原告浅田は同支部振替課分会分会長、の各地位にあった。

3  本件ストライキの実施

支部は、全逓中央本部が発出したストライキ実施指令に基づき、局において、昭和四九年四月一三日及び同五〇年一一月三〇日から同年一二月二日にかけてストライキを実施した。

4  本件ストライキに至る経緯

(一) 昭和四九年春期闘争の経緯(以下月日のみをもって表わす場合はすべて昭和四九年とする。)

(1) 総評、中立労連及び運輸労連などの一部純中立組合は、昭和四八年一〇月一二日、「七四年春闘共闘委員会」を発足させて、同四九年春期闘争(以下「春闘」という。)の基本方針を決定した。この決定によれば、統一要求は、ア インフレを乗り越える大幅賃上げと全国全産業一律最低賃金制の確立、イ 一日七時間、週三五時間、週休二日の労働時間短縮と週四〇時間制を中心とする労働基準法の改正、合理化、労働強化反対、定年延長、ウ スト権奪還、労働基本権確立、組合活動の自由確保、エ スライド制導入を重点として、すべての年金改善、社会保障の充実、物価値上げ反対、大幅減税、公害追放、低家賃住宅の大量建設、という四項目を柱とするものであり、闘争の基調を「国民春闘」と規定した。

(2) 公共企業体等労働組合協議会(以下「公労協」という。)は、一月一四日、第六回共闘委員会を開催し、春闘の重点目標と戦術構想などの大綱を決定した。この決定によれば、重点目標は、ア 全国全産業一律最低賃金制の確立をはじめとする春闘共闘委員会(以下「春闘共闘委」という。)の要求実現、イ 官公労働者のスト処分撤回、ウ 大幅賃上げと臨時職員の最低賃金引上げ、エ 共済年金の抜本的改善、オ 合理化反対と労働時間短縮、週休二日制の実施、の五項目であった。戦術構想は、春闘共闘委の「国民春闘」に呼応して、インフレ阻止や年金制度改善などの全国民的課題と官公労働者のスト権奪還闘争を結び、同四九年二月下旬から三月にかけて二波の統一闘争を実施し、このあと四月一〇日ごろをヤマ場として、問題解決まで一週間でも一〇日間でもストをやめないというものであった。

(3) 春闘共闘委は、一月二五日、第三回戦術委員会を開催し、春闘の具体的なスケジュールとして、一月二六日に、第一次統一行動として、全国的な規模でインフレ反対春闘勝利総決起集会を開き、更に国会審議がヤマ場を迎える二月二五日から三月五日にかけては、連日一〇万人から二〇万人を国会周辺に動員して集会やデモを行うこと、三月一日を第二次統一行動日として各組合がストライキを行うこと、三月中旬以降はとくに対政府交渉を強めて制度要求についての具体的な回答の引き出しに力を入れ、三月二〇日から三〇日にかけても連日国会周辺に大量動員のデモをかけ、この中で三月二六日を第三次統一行動日として、各組合がストライキを行うこと、それ以後四月の決戦段階になだれ込み、中旬頃には長期ゼネストを背景に諸要求の決着をつけることを決定した。

(4) 公労協は、一月三一日、第七回共闘委員会を開催し、春闘構想と戦術として、右春闘共闘委の方針に従い、まず、三月一日には物価高に抗議し、国会の予算を生活優先の予算に組み替えることを要求して全一日の拠点ストライキを行うこと、このあと、三月二六日頃には、民間労組と共闘し、スト権奪還などの独自要求もからめ、三・一ストを上回る規模の第二波統一ストライキを行うこと、更に四月上旬から中旬にかけての決戦段階では、東海道――山陽道を結んだベルトラインの拠点を移しながらの長時間波状ストライキを行うことを決定した。次いで公労協は、三月一四日、第九回共闘委員会を開催し、春闘共闘委が計画している三・二六統一ストには半日ストで参加することを決定するとともに、四月の「決戦ゼネスト」では諸要求の決着がつかない限りストライキをやめないことを再確認した。

(5) 春闘共闘委は、三月二九日、第四回戦術委員会を開催し、四月八日から一四日の間を第四次統一ストライキ行動期間として、最大限の実力行使を集中してゼネスト体制で闘いをすすめるとの方針を決定した。また、同日公労協も第一〇回共闘委員会を開催し、四月段階の日程について最終的な協議を行い、その結果、春闘共闘委の決定した四月八日から一四日の間の第四次統一ストライキの中で全単産とも九日始業時から、一三日二四時までの五日間を公労協の統一ストライキとしてゼネストを設定し、国民諸要求、スト権、賃上げ要求を一体のものとして同時決着することを確認した。

(6) 全逓は、二月一四日及び一五日の両日、第五八回中央委員会を開催し、春闘方針を決定し、闘争の主要目標として、ア 一人当り平均四万円の大幅賃金引上げ、最低賃金制の確立、イ ストライキ権奪還、ウ 合理化反対、エ 労働時間短縮を中心とする労働条件改善、オ インフレ阻止、物価引下げなど国民的諸要求の実現、カ 平和と民主主義を守るたたかいの強化と参議院選挙勝利の六項目を掲げた。そして、今次闘争の基調を「インフレによる国民生活破壊とたたかう国民春闘」と規定して、この国民春闘の中で公労協とともにその中核となって闘っていくこととし、更にスト権確立の一票投票を実施して圧倒的高率でスト権を確立することを打ち出した。また、この闘争方針の具体的内容は、二月下旬から一〇〇万人規模の大衆行動に参加すること、三月一日及び二六日の公労協統一ストライキの実施などにより闘争態勢を盛り上げること、「インフレ阻止、物価引下げなど国民的諸要求」、「大幅賃金引上げ」、「ストライキ権奪還」の決戦・決着の時期を四月中旬とし、それぞれの目標について実現するまで長時間ストライキを連続的に反復すること、春闘共闘委の指導のもとに、最終段階では波状的なゼネストに積極的に参加していくことであった。

(7) 郵政大臣は、二月二六日及び三月二三日、それぞれ文書をもって、全逓中央執行委員長に対し、三月一日及び同月二六日に計画されている違法なストライキを中止するよう強く申し入れ、万一実施した場合は厳正な措置をもって臨むことを警告するとともに、二月二六日職員に対しても、違法なストライキに参加することのないよう訓示を行った。九州郵政局長も、二月二七日全逓九州地方本部執行委員長及び福岡・大分両県地区本部執行委員長に対し、また、三月二五日同地方本部執行委員長及び管内各地区本部執行委員長に対し、それぞれ文書をもって郵政大臣の前記警告書と同旨のストライキの中止を申し入れるとともに警告を行った。しかしながら、全逓は三月一日、郵政大臣の警告を無視して、全一日の違法なストライキを実施し、全国一二五局において職員二三八二人がこれに参加し、欠務した。また、同月二六日には半日の違法なストライキを実施し、全国三七四局において職員四八一六人がこれに参加し、欠務した。

(8) 全逓は、三月三一日、第六回地方戦術委員長会議を開催し、春闘共闘委及び公労協の統一闘争方針に従って、四月九日から一三日までの五日間、全国を五グループに編成し、連鎖拠点方式によるストライキを実施することを決定した。これに対して郵政大臣は、四月五日文書をもって、全逓中央執行委員長に対し、同月九日から計画されている違法なストライキを中止するよう強く申し入れ、万一実施した場合は、厳正な措置をもって臨むことを警告するとともに、同日職員に対しても、違法なストライキに参加することのないよう訓示を行った。九州郵政局長も同月六日、文書をもって全逓九州地方本部執行委員長及び管内各地区本部執行委員長に対し、郵政大臣の前記警告書と同旨のストライキの中止を申し入れるとともに警告を行った。

しかしながら、全逓中央本部は、右同日郵政大臣の警告を無視して指令第五一号を発出し、「別記で指定する各職場は、既に指導してある戦術実施要綱にもとづき、四月九日始業時より一三日の勤務時間終了時まで連鎖拠点一二〇時間ストライキに突入できる態勢を確立せよ。」と指令し、次いで同月八日指令第五二号を発出し、「指令第五一号をもってスト態勢の確立を指令された全職場は、すでにあきらかにしている戦術実施要綱にもとづき、四月九日午前零時から一三日の勤務者の勤務終了時まで波状連続ストライキに突入せよ。」と指令した。こうして全逓は、春闘共闘委の第四次統一行動及び公労協の第三波統一ストライキに参加して、同月九日から一三日まで全国四二一二局において、違法なストライキを実施し、職員八万一一四七人がこれに参加し、欠務した。

(9) 春闘における全逓の違法なストライキに対し、局においては、以下の諸措置を講じた。ア 二月二七日、同月二六日付け郵政大臣の全逓中央執行委員長あて「警告書」及び同日付け同大臣の「職員の皆さんへ」と題する訓示を、玄関ホール掲示板にそれぞれ大書掲出するとともに支部に対する便宜供与(オルグ活動のための入局、組合活動のための休暇、組合活動のための庁舎使用のこと。以下同じ。)を三月一日まで打切る旨通告した。イ 三月七日、同日付け郵政省人事局長の「職員の皆さんへ」と題する訓示を玄関ホール掲示板に大書掲出するとともに、局長は文書をもって、支部支部長(以下単に「支部長」という。)に対し、ストライキ一票投票を中止するよう申し入れた。ウ 同月二五日、同月二三日付け郵政大臣の全逓中央執行委員長あて「警告書」を玄関ホール掲示板に大書掲出するとともに、支部に対する便宜供与を同月二六日まで打切る旨通告した。エ 四月三日、支部に対する便宜供与を打切る旨通告した。オ 同月六日、同月五日付け郵政大臣の全逓中央執行委員長あて「警告書」を玄関ホール掲示板及び一階洗面所前掲示板にそれぞれ大書掲出するとともに、同日付け同大臣の「職員の皆さんに訴えます」と題する訓示を玄関ホール掲示板に大書掲出した。カ 同月八日、局長は、同月六日付け文書をもって、支部長に対し、違法なストライキを中止するよう強く申し入れ、万一実施した場合は厳正な措置をもって臨む旨警告するとともに、郵政大臣の前記「職員の皆さんに訴えます」と題する訓示を印刷し、全職員に配布した。キ 同月一一日、各課長を通じ、その所属職員に対する同月一三日についての就労意思の確認を行い、就労意思を表明しない職員に対し、個別に同日所定の勤務に就くよう業務命令を発出した。右のような措置をしたにもかかわらず、同日、局において違法なストライキが実施され、原告らを含む局勤務予定者七一七名(公共企業体等労働委員会告示第一号指定職員を除く。以下同じ。)中六四五名が同ストライキに参加し、欠務した。

(二) 昭和五〇年秋期年末闘争の経緯(以下月日のみをもって表わす場合はすべて昭和五〇年とする。)

(1) 総評は、七月二一日から二四日までの四日間、第五〇回定期大会を開催し、同年秋期年末闘争の基本方針を決定し、ア 公共料金値上げ粉砕、独禁法改正、年末一時金など反インフレ闘争の強化、イ 予算要求闘争の幅広い展開、ウ 雇用、最低賃金、年金など制度闘争の精力的追及、エ 反合理化闘争の抜本的強化、オ スト権奪還闘争への決戦体制確立、カ 総選挙闘争に向けての体制強化の六項目を闘争の中心課題とし、今次秋期年末闘争を「七六年春闘の前段闘争」と位置づけた。

(2) 公労協は、九月五日、第一八回拡大共闘委員会を開催し、秋期年末闘争方針を決定し、「スト権奪還」を今次闘争の最重点目標とし、反インフレ、雇用、年金、最低賃金、減税などを含む国民諸要求を結合し、更に民間単産の一時金獲得闘争との共闘を推進して闘うこととした。公労協は、同月一七日、第二〇回臨時全国代表者会議を開催し、先の共闘委員会が決定した「スト権奪還を中心とする秋期年末闘争方針」を最終確認し、「政府が今秋スト権問題について結論を出さず、先送りや、われわれの要求を否認する態度は断じて許せない背信行為であり、公労協八六万組合員は、これを組織の非常事態と受けとめ、重大な決意をもって一二月段階から長期強靱な統一ストライキでスト権奪還まで徹底的に闘う。」との「闘争宣言」を発表した。公労協は、一一月五日、第一回戦術委員会を開催し、スト権問題で政府が公労協の要求(<1>スト権の保障を明確にすること、<2>立法までの期間を明確にすること、<3>立法まですべての処分を凍結すること)を否認するような場合は、同月二六日を起点に一〇日間以上のストライキに突入することを決定した。この決定は、同月一〇日に開催された第二回共闘委員会でも再確認された。公労協は、同月一五日、第二回戦術委員会を開催し、同月二六日から予定している「決戦スト」の戦術配置を決定した。これによれば、全逓の場合は、同月二六日午前六時から、全国の職場を五組に分け、各四八時間のリレーストを行うこと、及び六日間で全組合員が四八時間ストに一回参加し、一二月二日からは再び同じ戦術を繰り返すという戦術内容であった。公労協は、一一月二二日、第三回共闘委員会を開催し、既定方針どおり同月二六日からストライキに突入することを再確認して、同委員会は同日、加盟九単産に対し、ストライキ突入を指令した。公労協は、同日夕刻単産書記長会議を開催し、同日発表された公共企業体等関係閣僚協議会専門委員懇談会の意見書を踏まえて、今後スト体制にのぞむ態度について協議した結果、既定方針どおり、前記公労協の三要求を貫徹するまで組織の総力をあげて闘い抜くことを確認した。公労協は、一二月一日午後七時から、第四回拡大共闘委員会を開催し、同日夕刻の臨時閣議で決定した「三公社五現業等の労働基本権問題等に関する政府の基本方針」について検討し、政府声明は受け入れられないこと、三要求貫徹まで断固闘うこと及びストライキは既定方針どおり継続することを確認するとともに、同内容を含んだ抗議声明を発表した。

(3) 全逓は一〇月一四日、第六一回中央委員会を開催し、同年秋期年末闘争方針を決定し、闘争の主要目標として、ストライキ権奪還の決着と過去の処分による実損回復、人事政策の変更、全体時短、オンライン反対、反合理化基本要求の前進、団交権の確立、等の項目を掲げ、今次秋期年末闘争をスト権決着の正念場の闘いとして、スト権問題をすべてに優先し、組織の総力を結集して闘うとした。闘争方針の具体的内容は、一一月一日以降無期限の時間外労働拒否、業務規制闘争を展開し、郵政省の姿勢いかんによっては有効な時期にストライキを配置すること、業務規制闘争については、同月一〇日以降更に戦術を強化し、徹底した物ダメにより交渉の進展を期すこと、企業内問題は、同月中旬には一定の整理ができるよう取り組むこと、ストライキは、その課題により企業内独自のスト、官民統一スト、公労協反合理化統一スト及びスト権決着統一ストの四種に分け、それぞれ有効な時期に配置し、同月一一~一五日の間に最低七二時間ストを配置すること、また、スト権決着ストは公労協統一して最大の山場に設定することとし、この場合、従来の拠点方式を一歩前進させて、地域集中方式とし、地本ないしは地区単位で突入し、一局所四八時間ストライキを波状的に実施することであった。

全逓中央本部は、同月一一日、指令第一六号を発出し同月一三日からの七二時間ストライキ突入態勢の確立を指令したが、その後郵政省との間の交渉において、企業内問題について一定の前進をみたとして、翌一二日指令第一八号を発出して一三日からのストライキを中止した。しかし、全逓中央本部は、さらに同月二二日公労協が同月二六日からのストライキ突入指令を発出したことをうけて、指令第二〇号を発出し、スト権の決着をつけるまで断固闘い抜くとして、同日から一局所四八時間地区別拠点波状ストライキに突入することを指令した。

(4) 郵政省人事局長は、一〇月二七日文書をもって、全逓中央執行委員長に対し、ストライキ一票投票を中止するよう申し入れるとともに、職員に対しても郵政職員としての責務を十分自覚するよう訓示を行った。さらに、一一月二二日、郵政大臣は、文書をもって、全逓中央執行委員長に対し、同月二六日から計画されている違法なストライキを中止するよう強く申し入れ、万一実施した場合は厳正な措置をもって臨むことを警告するとともに、職員に対しても違法なストライキに参加することのないよう訓示を行った。九州郵政局長も、同日文書をもって全逓九州地方本部執行委員長及び管内各地区本部執行委員長に対し、郵政大臣の前記警告書と同旨のストライキの中止を申し入れるとともに警告を行った。

しかしながら、全逓は、郵政大臣の警告を無視して、同日から一二月三日まで全国延二万四八二四局所において、違法なストライキを実施し、職員延三三万二〇七九人がこれに参加し、欠務した。

(5) 支部は昭和五〇年秋期年末闘争に際し、「全逓くまちよ」と題する印刷物を配布したり無許可集会を開くなどしてストライキについて周知を繰り返したが、そのような支部の動きに対し、局においては、一〇月二九日、文書をもって支部長に対し、ストライキ一票投票を中止するよう申し入れるとともに、同月二七日付け人事局長の「職員の皆さんへ」と題する訓示を一階食堂前掲示板に大書掲出し、一一月一一日、同月一三日からの七二時間ストライキ終了時まで支部に対する便宜供与を打切る旨通告し、同月二二日、同日付郵政大臣の全逓中央執行委員長あて警告書、同大臣の「職員の皆さんへ」と題する訓示を右掲示板にそれぞれ大書掲出し、同月二五日、今次ストライキ終了時まで、支部に対する便宜供与を打切る旨通告し、同月二八日、各課長を通じ、その所属職員に対する同月三〇日及び一二月一日についての就労意思の確認を行い、就労意思を表明しない職員に対し、個別に所定の勤務に就くよう業務命令を発出した。

右のような措置をしたにもかかわらず、一一月三〇日及び一二月一日の両日、局において違法なストライキが実施され、原告らを含む局勤務予定者七一三名中六四九名が同ストライキに参加し、欠務した。

5  本件ストライキにおける原告らの行為

原告らは、支部支部長、同副支部長若しくは同書記長、又は同執行委員若しくは分会長として組合員を指導する地位にあったものであるが、次のとおり組合員に対し、ストライキの遂行を促し、あるいは参加を働きかけるなどして指導するとともに、自らも率先してこれに参加したものである。

(一) 原告東矢関係

(1) ストライキの前日である昭和五〇年一一月二九日午後〇時三五分ころから局玄関前広場において、全逓組合員約五〇〇名が無許可集会を行った際、同原告は、局管理者の解散命令を無視してあいさつを行った後、「それでは解散する。スト権奪還の決意をこめて団結ガンバローを三唱する。」と述べ、シュプレヒコールの音頭をとり、同組合員らに唱和させた。

(2) 同原告は、昭和四九年四月一三日(四時間)、同五〇年一二月一日(八時間)違法なストライキに参加し、みだりに勤務を欠いた。

(二) 原告家入関係

(1) 昭和五〇年一一月二五日午後〇時一九分ころから、局第二貯金課事務室において、全逓組合員約六〇名が無許可集会を行った際、同原告は「二六日からのストライキは堂々と打抜く。」と述べた後、ストライキの実施日について周知させるとともに、ストライキ突入に際しては組合の指示に従うよう要求し、さらに、スト署名をしていない者については粘り強く説得する旨を述べた。

(2) 同原告は、昭和四九年四月一三日(四時間)、同五〇年一二月一日(八時間)違法なストライキに参加し、みだりに勤務を欠いた。

(三) 原告吉岡関係

(1) 昭和五〇年一一月二五日午後〇時二〇分ころから局第六貯金課事務室において、全逓組合員約五〇名が無許可集会を行った際、同原告は、局管理者の解散命令を無視して、ストライキの実施日について周知させるとともに、ストライキの意向調査に対しては組合の指示に従う旨回答することを要求し、さらに、今回のストライキは自分達の責任で行い、スト不参加者については個人指導をする旨などを述べた。

(2) 同月二七日午後〇時二分ころから局第六貯金課長席に、全逓組合員約三〇数名が集団で押しかけた際、同原告は局第六貯金課長山木キヌの解散命令を無視して、同課長に対し、今回のストライキに不当な行為があれば容赦しないなどと抗議した。

(3) 同日午後四時五五分ころから局業務課長席付近において、全逓組合員約六、七〇名が局業務課長溝田信義に対し集団で抗議を行った際、同原告は、同課長の命令を無視し、進行管理会議へ赴く同課長の通行を妨害した。

(4) 同原告は、昭和四九年四月一三日(四時間)、同五〇年一二月一日(八時間)、違法なストライキに参加し、みだりに勤務を欠いた。

(四) 亡金原関係

(1) 昭和五〇年一一月二五日午後〇時二〇分ころから局振替課事務室において、全逓組合員約三、四〇名が無許可集会を行った際、同原告は、ストライキの意向調査に対してはストライキに参加する旨回答すること、ストライキ不参加者対策及び全逓組合員以外の者もストライキに参加させるべく呼びかけることを要求するなどした。

(2) ストライキの前日である同月二九日午後〇時三五分ころから、局玄関前広場において、全逓組合員約五〇〇名が無許可集会を行った際、同原告は、局管理課長加藤孝明が、あいさつを行っていた原告東矢のところへ解散命令を発するため赴こうとしたところ、同課長の通行を妨害し、さらに同課長が「東矢君解散させなさい」などと命令したのに対し、「東矢君とは何か、加藤君」と抗議した。

(3) 同原告は、昭和四九年四月一三日(四時間)、同五〇年一二月一日(八時間)、違法なストライキに参加し、みだりに勤務を欠いた。

(五) 原告石丸関係

(1) 昭和五〇年一一月二五日午後〇時二〇分ころから局第五貯金課事務室において、全逓組合員約六〇数名が無許可集会を行った際、同原告は、、ストライキの実施日について周知させるとともに、ストライキには全員参加すること、闘争委員会の指導に従うこと及び全逓以外の者にもストライキ参加を呼びかけることを要求するなどした。

(2) 同原告は、昭和四九年四月一三日(四時間)、同五〇年一二月一日(八時間)、違法なストライキに参加し、みだりに勤務を欠いた。

(六) 原告伊豆野関係

(1) 昭和五〇年一一月二五日午後〇時一九分ころから局第二貯金課事務室において、全逓組合員約六〇名が無許可集会を行った際、同原告は、局管理者の解散命令を無視して、ストライキの意向調査に対しては組合の指示に従いストライキに参加する旨回答することを要求した。

(2) 同原告は、昭和四九年四月一三日(四時間)、同五〇年一二月一日(八時間)、違法なストライキに参加し、みだりに勤務を欠いた。

(七) 原告本田関係

(1) 昭和五〇年一一月二五日午後〇時二四分ころから局第三貯金課事務室において、全逓組合員約五、六〇名が無許可集会を行った際、同原告は前記組合員がストライキの意義を十分認識し、部外者にも今回のストライキが正しいということを理解してもらうべく努力することを要求するなどした。

(2) ストライキの前日である同月二九日午後〇時一分ころから、局第三貯金課事務室において、全逓組合員約一五名が無許可集会を行った際、同原告は、ストライキ当日における組合員の集会場所などについて指示した。

(3) 同原告は、昭和四九年四月一三日(四時間)、同五〇年一二月一日(八時間)、違法なストライキに参加し、みだりに勤務を欠いた。

(八) 原告中村関係

(1) 昭和五〇年一一月二五日午後〇時二〇分ころから局第四貯金課事務室において、全逓組合員約六〇名が無許可集会を行った際、同原告は、局管理者の解散命令を無視してストライキの実施日について周知させるとともに「各人決意を新たに、一糸乱れず目的を勝ち取るまでがんばってもらいたい。ストライキの意向調査に対してははっきりと組合の指示に従う旨回答するよう要求する。ストライキ不参加者についてはストライキ参加を説得する。」と述べた。

(2) 同月二七日午後四時五五分ころから局業務課長席付近において、全逓組合員約六、七〇名が局業務課長溝田信義に対し集団で抗議を行った際、同原告は局管理者の解散命令を無視して、終始この抗議に参加した。

(3) 同原告は、昭和四九年四月一三日(四時間)、同五〇年一二月一日(八時間)、違法なストライキに参加し、みだりに勤務を欠いた。

(九) 原告原田関係

(1) 昭和五〇年一一月二五日午後〇時一七分ころから局会計課技工室において、同原告が主宰して全逓組合員約二〇名が無許可集会を行った際、同原告は、ストライキの実施日について周知させるとともに、ストライキの全員参加を呼びかけ、さらに局管理者の解散命令に対し「あんた達こそ出て行きなさい。」などと反発した。

(2) 同月二七日午後四時五五分ころから局業務課長席付近において、全逓組合員約六、七〇名が局業務課長溝田信義に対し集団で抗議を行った際、同原告は、局管理者の解散命令を無視して、同課長に対し「お前は横着だぞ」などと抗議した。

(3) 同原告は、昭和四九年四月一三日(四時間)、同五〇年一二月一日(八時間)違法なストライキに参加し、みだりに勤務を欠いた。

(一〇) 原告大山関係

(1) 昭和五〇年一一月二五日午後〇時二〇分ころから局第五貯金課事務室において、同原告が主宰して全逓組合員約六〇数名が無許可集会を行った際、同原告は、局管理者の解散命令を無視して、「ストライキ権については我々は無いものをくれと言っているのではない。二七年間奪われていたものを返しでくれと言っているのである。」「ストライキ権対策については官側に負けないよう我々も頑張っていきたい。」などと述べた。

(2) 同原告は、昭和四九年四月一三日(四時間)、同五〇年一二月一日(八時間)違法なストライキに参加し、みだりに勤務を欠いた。

(一一) 原告浅田関係

(1) 昭和五〇年一一月二五日午後〇時二〇分ころから局振替課事務室において、同原告が主宰して全逓組合員約三、四〇名が無許可集会を行った際、同原告は、局振替課長堺憲一が解散命令を発するため、亡金原のところへ赴こうとしたところ、同課長の通行を妨害し、さらに、局管理者の解散命令を無視して、「我々は団結してストを打ち抜こう。」と述べた。

(2) 同原告は、昭和四九年四月一三日(四時間)、同五〇年一二月一日(八時間)、違法なストライキに参加し、みだりに勤務を欠いた。

6  適用法条

(一) 原告らの抗弁5記載の行為のうち、以下に掲げる各行為は、公共企業体等労働関係法(以下「公労法」という。)一七条一項後段、国家公務員法(以下「国公法」という。)九八条一項、九九条に違反し、国公法八二条一号、三号に該当する。

原告東矢関係 (1)

同家入関係 (1)

同吉岡関係 (1)ないし(3)

亡金原関係 (1)・(2)

原告石丸関係 (1)

同伊豆野関係 (1)

同本田関係 (1)・(2)

同中村関係 (1)・(2)

同原田関係 (1)・(2)

同大山関係 (1)

同浅田関係 (1)

(二) 原告らの抗弁5記載の行為のうち、以下に掲げる各行為は、公労法一七条一項前段、国公法九八条一項、九九条、一〇一条一項前段に違反し、同法八二条各号に該当する。

原告東矢関係 (2)

同家入関係 (2)

同吉岡関係 (4)

亡金原関係 (3)

原告石丸関係 (2)

同伊豆野関係 (2)

同本田関係 (3)

同中村関係 (3)

同原田関係 (3)

同大山関係 (2)

同浅田関係 (2)

7  よって、被告は、原告らの前記行為を理由として、前記各法条を適用のうえ、それぞれ本件懲戒処分を行ったものであり、そこになんら違法はない。

三  抗弁に対する認否

1  抗弁1ないし3は認める。

2  同4全部について ストライキが違法であるとの点は争う。同4(二)(5)のうち、就労意思確認が全員について行われたこと、就労意思を表明しない職員全員に個別に業務命令を発出したことは不知。その余の事実は認める。

3  同5について 前書部分のうち、原告らが組合役職についていたこと及び本件ストライキに参加したことは認めるが、その余の事実は否認する。

(一) 同5(一)(原告東矢関係)について

(1) 同5(一)(1)のうち、被告主張の日時ころ同場所において集会が行われたこと、その際原告東矢が「団結ガンバロー」の音頭をとったことは認める。局管理者の解散命令は不知。その余は否認する。

(2) 同5(一)(2)のうち、被告主張のストライキに参加したことは認めるが、その余は争う。

(二) 同5(二)(原告家入関係)について

(1) 同5(二)(1)のうち、被告主張の日時、場所において全逓組合員が集まっていたことは認めるが、その余は否認する。

(2) 同5(二)(2)のうち、被告主張のストライキに参加したことは認めるが、その余は争う。

(三) 同5(三)(原告吉岡関係)について

(1) 同5(三)(1)のうち、被告主張の日時、場所において全逓組合員が集まったこと、その際原告吉岡が発言したことは認めるが、その余は否認する。

(2) 同5(三)(2)(3)は否認する。

(3) 同5(三)(4)のうち、被告主張のストライキに参加したことは認めるが、その余は争う。

(四) 同5(四)(亡金原関係)

(1) 同5(四)(1)のうち、被告主張の日時、場所において、全逓組合員が集まったこと及びその際亡金原が発言したことは認めるが、その余は否認する。

(2) 同5(四)(2)のうち、被告主張の集会が行われたこと及び亡金原がそれに参加したこと、並びに同人が「東矢君とは何か、加藤君。」と発言したことは認めるが、その余は否認する。

(3) 同5(四)(3)のうち、被告主張のストライキに参加したことは認めるが、その余は争う。

(五) 同5(五)(原告石丸関係)について

(1) 同5(五)(1)のうち、被告主張の日時、場所において全逓組合員が集まったこと及びそこにおいて原告石丸が発言を行ったことは認めるが、その余は否認する。

(2) 同5(五)(2)のうち、被告主張のストライキに参加したことは認めるが、その余は争う。

(六) 同5(六)(原告伊豆野関係)について

(1) 同5(六)(1)のうち、被告主張の日時、場所において全逓組合員が集まったこと及びその際原告伊豆野が発言を行ったことは認めるが、その余は否認する。

(2) 同5(六)(2)のうち、被告主張のストライキに参加したことは認めるが、その余は争う。

(七) 同5(七)(原告本田関係)について

(1) 同5(七)(1)のうち、被告主張の日時、場所において全逓組合員が集まったこと及びその際原告本田が発言したことは認めるが、その余は否認する。

(2) 同5(七)(2)は否認する。

(3) 同5(七)(3)のうち、被告主張のストライキに参加したことは認めるが、その余は争う。

(八) 同5(八)(原告中村関係)について

(1) 同5(八)(1)のうち、被告主張の日時、場所において全逓組合員が集まったこと及びその際原告中村が発言を行ったことは認める。解散命令は不知。その余は否認する。

(2) 同5(八)(2)は否認する。

(3) 同5(八)(3)のうち、被告主張のストライキに参加したことは認めるが、その余は争う。

(九) 同5(九)(原告原田関係)について

(1) 同5(九)(1)のうち、被告主張の日時、場所において全逓組合員が集まったこと及びその際原告原田が発言したことは認めるが、その余は否認する。

(2) 同5(九)(2)は否認する。

(3) 同5(九)(3)のうち、被告主張のストライキに参加したことは認めるが、その余は争う。

(一〇) 同5(一〇)(原告大山関係)について

(1) 同5(一〇)(1)のうち、被告主張の日時、場所において全逓組合員が集まったことは認めるが、その余は否認する。

(2) 同5(一〇)(2)のうち、被告主張のストライキに参加したことは認めるが、その余は争う。

(一一) 同5(一一)(原告浅田関係)について

(1) 同5(一一)(1)のうち、被告主張の日時、場所において全逓組合員が集まったことは認めるが、その余は否認する。

(2) 同5(一一)(2)のうち、被告主張のストライキに参加したことは認めるが、その余は争う。

4  同6、7は争う。

四  再抗弁

1  本件懲戒処分は、争議行為への参加ないし指導行為を理由とするものであるが、処分事由とされた具体的事実は暴力行為等を含まず、民間労働者が行った場合は正当とされるような通常の争議行為である。これを違法とする公労法一七条は憲法二八条に違反した無効な法律である。

2  仮に、公労法一七条が合憲で、同条違反の故に違法とされる争議行為であっても、これに対して懲戒罰を課することは許されない。

(一) 全逓東京中郵事件の最高裁判所判決(昭和四一年一〇月二六日大法廷)は、争議権制約の合憲でありうるための条件の一つとして、「労働基本権の制限違反に伴う法律効果、すなわち、違反者に対して課せられる不利益については、必要な限度をこえないように、十分な配慮がなされなければならない」として、「争議行為禁止違反が違法であるというのは、これらの民事責任を免れないとの意味においてである。」と判示しているが、懲戒罰は、違反に対して課せられる不利益として必要の限度を超えたものである。懲戒免職処分を受けた労働者は、職を奪われた上、官職に就く機会を二年間奪われ、更に数十万円ないし数百万円の退職金を罰金同様に剥奪される。賃金月一〇万円の労働者が停職一年の懲戒処分を受ければ、一年間勤労の権利を奪われた上、一二〇万円の罰金を科せられるも同様である。減給一〇月一〇分の一の懲戒処分は一〇万円の罰金に等しい。戒告も、昇給延伸や賞与減額を考えれば、退職までに莫大な罰金を科せられたと同然である。懲戒罰のこのような実態と、民事責任と異る本質に鑑みれば、争議行為禁止違反に対する法律効果として懲戒罰を科することは、必要な限度を超えたものであり、憲法二八条、一八条に違反する。

(二) 懲戒は、個別的労働関係において遵守が期待される就業規則ないし服務規律違反について個別的労働関係の主体たる地位においてその責任を問うものであるから、集団的労働関係にある労働組合の活動に参加した組合員の行為は、それが正当な組合活動であれば勿論、たとえ団体として違法な行為であっても、労働組合の行為として不可欠の行為として認められるかぎり、これを組合員の行為として懲戒責任を問いえないのである。もし組合の活動として行なった行為についてまでも個人責任を追及できるとすれば、規律と統制を基礎とする団結の破壊を招く結果となるからである。その意味で組合の活動として行なった行為について懲戒責任を問いえないということは団結権保障の法理の当然の帰結といわなければならない。とりわけ争議行為は集団的性質が最も強く、しかも使用者の労務指揮からの組合員の離脱において始めて成立するものであるから、服務規律によって企業秩序の確立する基礎自体が失われているのであって、たとえそれが前述の意味で団体法的に違法であるとしても、服務規律違反を理由とする懲戒権の行使は許されないのである。

(三) 仮に違法ストの場合、個々の組合員も個人行為性の側面から責任を免れないとしても、一般に違法ストが、正当な争議行為に与えられる労組法上の免責からすべて除外されるとはいえない。憲法二八条が争議権を労働基本権として保障している趣旨は、争議行為について、刑事上も、民事上も、懲戒上も免責されるということを含んでおり、労働組合法(以下「労組法」という)一条二項、同八条、同七条一号本文はこのことを確認した規定であるが、一般に違法ストは、刑事上、民事上、懲戒上のすべての免責を失うものではない。なぜなら、違法性の相対性及び違法効果の必要最小限原則の要請からいって、一定の法規に違反したからといって、法的にあらゆる面で違法評価をうけなければならないものではなく、争議権が本来憲法上の基本権である以上、争議行為禁止立法がたとえ合憲とされても、禁止違反に対する法律効果は必要最小限でなければならないからである。懲戒罰は、労働契約の解除である普通解雇や損害賠償の請求とは本質的に異なる、近代法の原則から認め難い過酷な制裁であって、公労法が一七条一項違反に対する不利益措置として普通解雇しか規定していないことからすると、同条項違反の争議行為は公労法の予定する一八条解雇との関係でのみ違法であり、それ以外に懲戒罰を課する違法性がないのである。

(四) 公労法は三条で「公共企業体等の職員に関する労働関係については、この法律により」と定め、一般職の公務員であっても、五現業の職員の労働関係については、公労法が国公法に対して一般法に対する特別法の関係に立つことを明示し、同法四〇条一項で争議行為に関する国公法九八条二項、三項、同法附則一六条の適用を排除して、争議行為についてはすべて公労法の専属的所管事項とし、二項で「前項の規定は、第二条第二項第二号の職員(すなわち、五現業の一般職の公務員)に関しては、その職務と責任の特殊性に基いて、国公法附則第一三条に定める同法の特例を定めたものである」と明定した。そして一七条で争議行為を禁止し、その違反に対しては、一八条で普通解雇を定め、三条で労組法八条の適用を除外して損害賠償を認め、その反面、労組法一条二項と七条一項本文については、その適用を排除していないので、公労法は、争議行為を禁止し、その違反に対する法律効果としては刑事責任、懲戒責任は問わず、解雇、損害賠償等の民事責任を問うことを政策として立法されたものといわざるをえない。なぜなら、刑事責任、懲戒責任をも問う趣旨とすれば、公労法三条、四〇条一項二項の存在理由を説明することができないのである。

3(一)  懲戒罰は、公労法が同法一七条違反に対する不利益処分として特に定めた同法一八条の通常解雇とは本質的に異なる「制裁」であり、「制裁」である点で刑罰と同質であり、制裁としての程度も刑罰に劣らぬ荷酷なものであるから、懲戒処分を課するには「責任」を要件とし、したがって行為者に違法性の認識がなく、かつこれがないことに相当な理由があるときは、「責任」なきものとして懲戒処分を課することができず、少くとも懲戒権の濫用として、取消されるべきである。

(二)  原告ら全逓組合員は、本件ストライキを正当な行為であると確信していたが、官公労働者の争議行為に対する社会的潮流とくに学界の通説と裁判例は、労働基本権解放の方向にあり、原告らの右確信を支持し、鼓舞するものであったから、原告らに違法性の認識はなく、かつこれの認識を持たなかったことについては相当の理由があった。

五  再抗弁に対する認否

1  再抗弁1、2は争う。

2  同3のうち、(一)は争い、(二)は否認する。

第三証拠(略)

理由

一  請求原因1(原告らの地位)、同2(本件懲戒処分の存在)中、処分理由(二)の事由を除くその余の事実及び同4(局の組織改正)は、当事者間に争いがない。

二  そこで、抗弁(原告らの違法行為)について判断する。

1  抗弁1(原告らの昭和四九年四月、同五〇年一一月及び一二月当時の局における勤務関係)、同2(全逓における原告らの地位)及び同3(本件ストライキの実施)は、当事者間に争いがない。

2  昭和四九年四月一三日に行われた本件ストライキについては、抗弁4(一)(昭和四九年春闘の経緯)の事実及び原告らが右ストライキに参加したことは、当事者間に争いがない。

3  そこでまず、昭和五〇年一一月三〇日から同年一二月二日にかけて行われた本件ストライキにおける原告らの行為について検討する。

(一)  抗弁4(二)(昭和五〇年秋期年末闘争の経緯)は、就労意思の確認及び就労業務命令に関する事実を除き当事者間に争いがない。そして、局において、昭和五〇年一一月二八日、各課長を通じて、その所属職員に対する同月三〇日及び同年一二月一日についての就労意思の確認を行い、就労意思を表明しない職員に対し、個別に所定の勤務に就くよう業務命令を発出したことは、(人証略)によってこれを認めることができる。なお、原告らが同年一二月一日に行われたストライキに参加したことは、当事者間に争いがない。

(二)  抗弁5(本件ストライキにおける原告らの行為)のうち、以下の事実は当事者間に争いがない。

(1) 昭和五〇年一一月二五日午後〇時一七分ころから、局会計課技工室において、全逓組合員が集まったこと及びその際、原告原田が発言したこと。

(2) 同日午後〇時一九分ころから、局第二貯金課事務室において、全逓組合員が集まったこと及びその際、原告伊豆野が発言したこと。

(3) 同日午後〇時二四分ころから、局第三貯金課事務室において、全逓組合員が集まったこと及びその際、原告本田が発言したこと。

(4) 同日午後〇時二〇分ころから、局第四貯金課事務室において、全逓組合員が集まったこと及びその際、原告中村が発言したこと。

(5) 同日午後〇時二〇分ころから、局第五貯金課事務室において、全逓組合員が集まったこと及びその際、原告石丸が発言したこと。

(6) 同日午後〇時二〇分ころから、局第六貯金課事務室において、全逓組合員が集まったこと及びその際、原告吉岡が発言したこと。

(7) 同日午後〇時二〇分ころから、局振替課事務室において、全逓組合員が集まったこと及びその際、亡金原が発言したこと。

(8) 同月二九日午後〇時三〇分ころから、局玄関前広場において集会が行われたこと及びその際、原告東矢が「団結ガンバロー。」の音頭をとったこと並びに亡金原がそれに参加し、「東矢君とは何か、加藤君。」と発言したこと。

(三)  右争いのない事実に加うるに、(証拠略)原告東矢徳男、同石丸はるみ、同原田正士、同伊豆野吉幸、同家入淳、同本田勉、同中村豊、同吉岡栄喜、同浅田融及び訴え取下前相原告宮本健一各本人尋問の結果(但し、いずれもその一部)並びに弁論の全趣旨を総合すると以下の事実が認められ、(人証略)の各証言並びに前掲各原告ら本人尋問の各結果中右認定に反する部分は、(証拠略)に照らして措信しがたく採用し得ない。

(1) 本件ストライキにおける支部の動き

ア 昭和五〇年一一月及び一二月当時、原告東矢は支部長、原告家入は副支部長、原告吉岡、亡金原、原告伊豆野、同中村、同石丸、同原田はいずれも支部執行委員、原告本田、同大山、同浅田は分会長の役職にあった。

分会は、全逓労組の規約上の組織ではないが、支部の補助機関として各課単位に組織されており、支部の指示事項等の組合員に対する伝達、その他の組合員に対する指導等は、各分会担当の支部執行委員が、分会長、副分会長、分会書記長の分会三役、職場委員などを通して、伝達し、あるいは指導していた。また、本件ストライキの際には、同年一一月一四日、支部三役、執行委員、分会長を構成員とする拡大闘争委員会を組織し、本件ストライキの実施に関する具体的方針、戦術の細目等を決定し、実行に移した。

支部は、本件ストライキを行うに当たって、同年一〇月三〇日から一一月四日まで、いわゆるスト権確立のための一票投票を行ったが、右一票投票に際しては、組合員向けの日刊紙である「全逓くまちょ」の号外を発行して、組合員に「ストライキ批准率一〇〇パーセントに向けてお互にがんばりましょう。」と呼びかけるとともに、支部執行委員がそれぞれの担当分会の分会長以下の役職者と共に組合員に働きかけ、批准率を高めるべく努力した。右ストライキ一票投票の結果、局でのストライキ批准率は九六・四六パーセントとなった。

その後支部は、同月一九日、団結署名を行ったところ、これは、個々の組合員に対して、ストライキ参加の意思を確認するために署名を求めるものであって、支部も翌二〇日付の「全逓くまちょ」において「団結署名に完全結集をはかろう。」と呼びかけており、これによれば、右団結署名も、支部役員、分会長等を構成員とする支部闘争委員会が企画し、各分会担当の支部執行委員、分会役員らが中心となって行ったものと推認できる。そして、ストライキ参加の意思を表明しない組合員に対しては、支部役員、分会役員らの指導によって強力な説得活動が行われた。

イ 支部は、右のほか、以下のとおり、「全逓くまちょ」を通じて組合員に対し、本件ストライキの周知を行うとともに、その参加を呼びかけるなどした。

昭和五〇年一一月一日付の「全逓くまちょ」において、「秋期年末闘争に突入す、本日より三六無協定」と題し、「本日より、三六無協定を背景として、徹底した業務の『手ぬき、便宜処理』の排除と共に『証拠書の正確な授受保管・業命拒否』等を中心とした業務規制闘争をもって、秋期年末闘争に突入します。」「衿にバッチ、胸にワッペン、腕に腕章を」などと周知させ、同日から腕章を着用させた。

同月一三日付の「全逓くまちょ」において、「闘いは今から、スト権結着にむけ全力をあげよう」と題し、「本日からは二六日予定されるスト権結着にむけての歴史的闘いに突入します。完全勝利までがんばろう!」などと周知させた。

同月一九日付の「全逓くまちょ」において、「当支部は約九七パーセントの投票結果がでています、今後一層の組織強化拡大とスト権決戦に向かって、一〇〇パーセントの態勢づくりに組合員一人ひとりの断固たる決意を切望します。」などとストライキ一票投票の批准率の周知を図った。

同月二六日付「全逓くまちょ」において、「スト権は与えられるものではなくたたかいとるもの」、「自らの手でストライキ権を奪い返そう」と題し、同日から翌二七日までのストライキ拠点地区を明らかにするとともに、「スト実施地区以外は、本日より業務規制闘争に突入」「この歴史的な闘いを組合員一人ひとりが、自信と勇気をもって闘いぬきましょう。」などと周知させた。

同月二七日付の「全逓くまちょ」において、「公労協が二六日から一〇日間を越える大規模統一ストに入る。当熊本県は三〇日から四八時間ストに入り、一二月六日まで波状ストを続けることになる。この歴史に残る一大闘争を自から参加し、スト権を闘いとってこそ真の労働者としての価値がある。職員組合、未加入の貴方達は『ストは法律違反』『悪法も法なり』と論じていますが、貴方達も我々と同じ労働者です。今からでも遅くない、我々と共に手を取り共に闘おうではありませんか。」などと呼びかけるとともに、さらに、同日付「全逓くまちょ」の号外において、「スト権奪還に向けて全勢力を結集しよう」「当支部は業務規制闘争をさらに強化せよ」と題し、「スト権の完全奪還に向けて、ストに参加している気持で、業務規制闘争を更に強化し、あわせてスト突入一〇〇パーセントに向けて、全勢力を結集しようではありませんか。」などと周知させた。

同月二九日付の「全逓くまちょ」において、「スト権奪還ストに突入するにあたって」と題し、「ストライキ権は与えられるものではなく、闘いとるものであることを再確認し、全員自信をもってストに突入しよう。我が貯金局支部のスト突入日は一一月三〇日と一二月一日の二日間と決定された。今度こそ脱落者ゼロとし、数的な前進と共に実質的な前進の証明としたいものだ。」「スト突入一〇〇パーセントで明るい職場を」「本日午後〇時三〇分玄関前全体集会」などと周知させた。

また、同日付「全逓くまちょ」の号外において、「今こそ勝負をかけるとき」「明日一一月三〇日より全逓熊貯支部いよいよ決戦ストライキに突入」と題し、「『スト権奪還』ストにいよいよ我が貯金支部も、明日三〇日より四八時間ストに突入する。自信と勇気をもってこの決戦ストに突入しよう。」などと周知させた。

同月三〇日付の「全逓くまちょ」の号外において、「スト権奪還スト、全逓熊貯支部ただ今ストライキ決行中」と題し、「本日よりいよいよ全逓熊貯支部は四八時間ストに突入しました。」「最後までスト権奪還のため共にストを打ち抜きましょう」などと周知させた。

同年一二月一日付の「全逓くまちょ」において、「決戦ストに堂々突入!全逓熊貯支部スト二日目四八時間スト決行中」と題し、「公労協のスト権奪還ストは、一二月に入り今日で六日目となった。第二順目は明日より再度ストに突入します。再度のスト態勢一〇〇パーセントをめざして団結ガンバロー」などと周知させた。

ウ 右のような動きの中で支部は、昭和五〇年一一月二五日、各分会ごとに集会を開催し、同月二七日午後〇時二分頃、山木第六貯金課長に対し、同日午後四時五五分頃、溝田業務課長に対し、それぞれ抗議行動を行い、同月二九日午後〇時三五分頃、局玄関前広場で総決起集会を開催した。

そして、これらの集会あるいは抗議行動における原告らの行為が、本件懲戒処分の処分事由とされているものである。

(2) 一一月二五日開催の分会集会(以下月日のみで表わすものはすべて昭和五〇年であり、時間で表わすものは同年一一月二五日である。)

ア 熊本地方貯金局支部は、前記の昭和五〇年秋期年末闘争の経緯にあるとおり、スト権ストの一環として、同月三〇日、一二月一日の両日、ストライキを実施することになったが、ストライキ実施に先き立って、同年一一月一九日に開催された闘争委員会は、同月二五日に各課分会において集会を開くことを決定し、併せて右集会において組合員に対して行う指導の内容、組合員に周知させるべき事項等を決定した。

すなわち、右分会集会は、スト権奪還闘争の意義、目的、闘争の歴史的経過、現下の態勢等を組合員に報告・説明し、組合員全員がストライキに参加するように指導することを目的として開催するとされたものであり、分会集会において組合員に対して話すべき話の具体的内容としては、スト権の奪還を目的としてストライキを行うこと、ストライキ権の意義、ストライキ権は与えられるものではなく、闘い取るものであること、スト権奪還闘争の過去の経過、スト権ストの目的、実施日程、今回のストライキはスト権問題に結着をつけるためのストライキであり、スト権問題に関する最後のストライキとなるべきものであるから、全員正々堂々とストライキを行うこと、当局側の意向調査に際しては、ストライキに参加することの意思表示を明確にすること、当局側の介入に対しては、これをはねのけ、支部に連絡をすること、ストライキに参加しない組合員に対してはストライキに参加するよう最後まで説得することなどであった。

右のような闘争委員会の決定に基づいて、各課分会は、同月二五日の昼休みに、各課事務室において無許可集会を開催した。なお、被告は同日、支部に対して便宜供与の打切りを通告しているので、集会の許可申請がなされたとしても、許可されることはあり得ない状況であった。

イ 会計分会―原告原田関係

会計分会の集会は、午後〇時一五分から〇時三五分頃まで、局庁舎会計課技工室において、二一名の組合員が参加して行われた。

会計分会担当の支部執行委員である原告原田は、右集会を主宰し、出席した分会員に対し、一一月一九日の闘争委員会において決定された内容の話をした。すなわち、原告原田は、参加した組合員の前面に立って組合員の方を向き、スト権奪還闘争の経過、意義、目的等の情勢報告をし、同月三〇日、一二月一日の両日ストライキを行うこと、今回は集会方式ではなく自宅待機方式によって行うことなどを話し、分会は一つとなって、全員が整然と、堂々とストライキに突入してもらいたい、当局の意向調査に際しては、全員組合の指示に従いますと言ってもらいたい、本日午後五時から闘争委員会を開き、あす昼休み職場集会で報告するので、班討議をしてもらいたい、などと言って指導した。そして、集会は午後〇時三五分頃散会した。

右集会の際、杉山会計課長、伊藤会計課長代理は、集会の行われていた前記技工室に入って行き、杉山課長が原告原田に対し「原田君、君が責任者か。」と尋ねると、同原告は「私が責任者です。」と答えた。杉山課長は、たびたび解散命令を発したが、原告原田はこれに応じないで、「あんた達こそ出ていきなさい。」、「邪魔をしなさんな。」などと言い返し、解散命令を無視してスト権ストに関する情勢報告等前記指導行為を行ったものである。

ウ 第二貯金分会―原告家入、同伊豆野関係

第二貯金分会の集会は、午後〇時一九分から〇時五九分まで、局庁舎三階の第二貯金課事務室において、約六〇名の組合員が参加して行われた。

はじめに、吉田分会長が司会者として、「只今からストライキ権奪還のための分会会議を開きます。」と言って開会を宣し、つづいて、第二貯金分会担当の支部執行委員である原告伊豆野が、〇時二〇分から約一五分間、参加した分会員に対して、スト権奪還闘争の経過、情勢の報告をし、一一月三〇日、一二月一日にストライキを実施することを伝達し、当局の意向調査に際しては、一人一人が全逓本部の指示によりストに入ります、とはっきり言って下さいと、くり返し念を押した。

原告家入は、午後〇時三五分頃、原告伊豆野に代って、参会者に対し、「二六日からのストは堂々と打ち抜く。課長と管理係長がおるが我々は公表して堂々とストに入る。当局は三〇日と一二月一日であるが、日曜日から組合の指示に従ってほしい。詳細は闘争委員会を開き決定するので分会長、班長を通じて流す。指示に従ってほしい。」、「スト署名に署名しない一〇名については今後ねばり強く説得する。また、管理者の動向はメモして分会長にあげてほしい。」などと話して、分会員を指導し、午後〇時五九分、「それではこれで終わります。」と言って、集会を解散させた。

右集会の際、平辻第二貯金課長と津下管理係長は、右集会の場所に行き、平辻課長は原告伊豆野に対し数回解散命令を発したが、同原告は解散しないで集会を続行させた。

エ 第三貯金分会―原告本田関係

第三貯金分会の集会は、午後〇時二〇分頃から〇時五九分まで、第三貯金課事務室において、五、六〇名の組合員が参加して行われた。

まず、中村真生支部執行委員が「ただ今からスト権ストに向けた分会集会を開催します。」と言って、開会を宣し、つづいて分会長である原告本田が、参会者に対し、スト権問題の情勢、一一月二六日以降、公労協が統一してスト権ストに突入せざるを得ない状況にあること、スト権奪還闘争の歴史的経過を報告し、労働組合は労働者の労働条件に関する要求だけでなく、社会全般の生活水準の向上のためにストライキを背景として闘ってきたこと、労働組合のストライキは最終的には国民の福祉の向上につながるものであり、労働組合、あるいはストライキ権の正当性、さらに今回のスト権ストの正当性について、組合員一人一人が十分認識し、地域住民に対しても理解してもらうよう努力することなどを説いて、組合員を指導した。

原告本田の話が終ったあと、午後〇時四〇分から宮本支部書記長が話をし、午後〇時五九分、中村真生執行委員が音頭をとり、「スト権奪還に向けて団結がんばろう。」と三唱して集会は解散した。

右集会の際、井手第三貯金課長、浮島第三貯金課長代理は、右集会の場所に行き解散命令を発したが、集会は解散しなかった。

オ 第四貯金分会―原告中村関係

第四貯金分会の集会は、午後〇時二〇分から〇時四八分まで、第四貯金課事務室において、約六〇名の組合員が参加して行われた。

はじめに、沢田分会長があいさつをして集会が始まり、次に、第四貯金分会担当の支部執行委員である原告中村が、出席した分会員に対して、一一月一九日の闘争委員会で決定された話の内容を、ノートを見ながら間違えないように話した。すなわち同原告は、スト権は与えられるものではなく、勝ち取るものであることを説き、スト権ストに至る経過、背景等の説明、スト権ストの意義、目的、今回のストは各地区ごとの波状ストを反復して行うことになっていること、当支部は同月三〇日、一二月一日にストに入ることなどの情勢報告をし、各人決意を新たに一糸みだれず、目的を勝ち取るまで、正々堂々と闘い抜こう、と話して組合員を指導し激励した。また、同原告は、業務規制の方法として便宜処理は一切行わないこと、業務規制は本部指令があるまで続けること、当局の意向調査に際しては、組合の指示に従うことをはっきり答えること、スト不参加の組合員に対してはスト参加を説得すること、などを指示した。

午後〇時四八分、沢田分会長が「我々は組織人である。団結して、最後まで一糸みだれず、目的を勝ち取るまでがんばろう。」と言って、拍手をして集会を終った。

右集会の際、内田第四貯金課長、米本第四貯金課長代理は、右集会の場所に行って、原告中村に対して解散命令を発したが、同原告は、「なんばいうとか。」、「あんたいつまでここにおっとな。」、「ひらかせんとな。」などと大声で反発し、同命令を無視して、集会を解散させることなく続行した。

カ 第五貯金分会―原告石丸、同大山関係

第五貯金分会の集会は、午後〇時二〇分頃から〇時四八分まで、第五貯金課事務室において、約六五名の組合員が参加して行われた。

第五貯金分会担当の支部執行委員である原告石丸は、右集会において、一一月一九日の闘争委員会の決定したところに従い、ノートを見ながら、スト権ストに至る経過、全逓は同月二六日からストに入るが、全国を五グループに分け、一グループ四八時間のストを行うこと、九州は各県別に二日間のストに突入するが、熊本は同月三〇日と一二月一日の二日間ストを行うこと、ストを行わない日は規制闘争を行うこと、第二組合、未組織者にもストに入ってもらうように話し合うこと、団結署名をしていない一〇名の者とも話し合うこと、これらの話し合いは班・係・分会という段階で、時間外を原則とするが、拒否すれば昼休みあるいは自宅に行って家族と話し合うことにもなること、支部は一一月一四日に闘争委員会を設置し、既に三回にわたって会議を開いていること、同月一九日団結署名を行ったことなどを報告し、管理者及び第二組合の動向を逐一チェックして欲しい、いよいよ明日からストに入るが、当面の問題として業務規制の実施と共に、あらゆる会議に参加出席すること、今後の行動は闘争委員会の指示に従うこと等を守ってもらいたい、今度の闘争は昭和二三年以前の姿に戻すための闘いで、スト権問題に関する最後のストライキになるであろうから、全員一生懸命がんばって、自信をもって正々堂々と一〇〇パーセントストライキに突入しよう、今回のストは自宅待機方式であるが、細いことは闘争委員会で具体的に決定されるので、決定されたら逐一連絡するのでそれに従ってもらいたい、などと話して組合員を指導し、かつ、鼓舞激励した。

分会長である原告大山は、闘争委員会の構成員であり、原告石丸と共に右集会を主宰している者であるが、原告石丸の話が終ったあと、午後〇時四五分から、「ストの突入と中止命令がでるまでの経過説明があったわけであるが、管理者は私達以上に必死であり、ごらんのように我々のことを一生懸命メモしている。我々は無いものをくれと言っているのではない。二七年間も奪われていたものを返してくれと言っているのである。一七時から官も対策をねるだろうが、我々も負けないように頑張っていきたい。では本日の分会集会はこれをもって終る。」と言って、集会を終った。

右集会の際、山本第五貯金課長、飯田第五貯金課長代理は、集会の場所に行き、山本課長が原告大山に対して、集会を解散させるよう命じたが、同原告は何も答えず、解散命令を無視した。

キ 第六貯金分会―原告吉岡関係

第六貯金分会の集会は、午後〇時二〇分から〇時五〇分まで、第六貯金課事務室において、約五〇名の組合員が参加して行われた。

第六貯金分会担当の支部執行委員である原告吉岡は、右集会において、ノートを見ながら、組合員に対し、闘争委員会で決定された話の内容に従って話をした。すなわち、同原告は、スト権ストの意義、ストの日程が一一月三〇日から一二月一日にかけてであること、自宅待機方式であること、地区ごとに打ってくるし、応援もないので、自分たちの責任で行うこと、五人組の横の連絡を密にすること、団結署名をしない者が一〇名程度いるが、それらに対しては支部の方で話合いをつづけていくこと、腕章、バッジを着用していない者に対しては指導すること、規制闘争は京都方式で便宜処理は行わないこと、当局の意向調査の際には、組合の指示に従うことをはっきり答えること、などを話して、ストライキの実施について組合員を指導した。最後に同原告は、「課長はこのような形で自分達の集会に入りこんで離れない。決して我々の味方ではない組織介入だ。」と話し、集会は午後〇時五〇分解散した。

右集会の際、山木第六貯金課長、船津第六貯金課長代理は、集会の場所に行き、山木課長は、二回にわたり解散命令を発したが、集会は解散しなかった。

ク 振替分会―亡金原、原告浅田関係

振替分会の集会は、午後〇時二〇分頃から〇時五三分まで振替課事務室において、約四〇名の組合員が参加して行われた。

振替分会担当の支部執行委員であった亡金原は、右集会において午後〇時二〇分頃から、分会員に対して、当局の意向調査の際には、本部からの指令にそってストに参加しますと明確に答えること、先日団結署名をしてもらったが、スト不参加者がでるであろうから、皆で連絡をとり合い、官の介入を排除し、全員が笑顔でストライキに参加できるよう結束しよう、官から不参加の働きかけがあったときはメモをするか、電話で組合にあげること、管理者の行為をチェックすること、休憩休息時間はきちんととり、始終業時刻を守り、法、規則、規定にそった仕事を平常能率で進めよう、今回のスト権ストには、第二組合、未組織の一七名の人達にも参加を呼びかけよう、などと話してストライキの実施について組合員を指導した。

原告浅田は、振替分会長として、闘争委員会の構成員であるが、右分会集会開催の件については、神田副分会長らに連絡し、集会当日は、組合員に集会参加を呼びかけて集会の開催に努力し、集会が始まってからは、金原執行委員、神田副分会長、草野分会書記長と共に終始立ったまま組合員らの方に向いていた。

そして、堺振替課長、丸山振替課長代理が集会の場所に行って解散命令を発し、さらに話をしている亡金原の方に行こうとしたところ、原告浅田は、副分会長、分会書記長と共に、堺課長らの前面に立ち塞がり、同課長らの行動を妨害した。

堺課長は、午後〇時二五分、原告浅田に対して「指導者はあなたでしょう。皆を呼び集めていましたね。指導者として解散させない。」と言って解散を命じたが、原告浅田は無言のまま堺課長らの前面に立ち塞がっていた。

堺課長は、さらに午後〇時三五分、原告浅田に対し「あなたが指導者でしょう。皆を解散させなさい。」、「ストライキの指導のための組合集会ではないですか。組合集会は許可されていませんので解散させなさい。」と命じたが、同原告は「組合会議で集まっている。いかんとですか。」と言ったので、堺課長は「組合の集りは許可されていません。あなたは集合するよう指示していましたね。あなたと金原さんが指導者ですね。」と念を押すと、同原告はブツブツ言っていた。

午後〇時五二分、亡金原の話が終ると、原告浅田が参会者に対し、「今日の午後から団結してスト権ストを打ちぬこう。」とあいさつし、集会を終った。

以上のとおり、原告浅田は分会員に集会参加を指示して、分会員を集め、亡金原と共に集会を主宰し、亡金原が参会者に対して、ストライキの実施について指導している間、これを見守り、堺課長らが亡金原の近くに行こうとするのを妨害して、亡金原の指導行為を補助し、さらに「団結してスト権ストを打ちぬこう。」と訴えて、集会をしめくくったのであり、原告浅田のこのような行為は、亡金原と共同して、ストライキの実施について指導したものということができる。

(3) 山木第六貯金課長に対する抗議行動―原告吉岡関係

昭和五〇年一一月二七日午後〇時二分、原告吉岡及び第六貯金分会の分会員ら三四、五名が山木第六貯金課長の席をとり囲み、同原告が、山木課長に対し「今度のストに、前のときのような不当な行為があれば我々は容赦しない。」という趣旨のことを言って抗議した。

山木課長が「吉岡君解散しなさい。」と言ったところ、同原告は、机の上に置いてあった事業概況表を見て「こがんとで尻たたきなんか、なかごつですな。」と言った。

山木課長が重ねて、「吉岡君解散しなさい。」と言ったところ、同日午後〇時五分全員解散した。

原告吉岡らの右集団による抗議行動及び同原告の発言は、本件ストライキに突入するに先き立って、当局側の対策に対する妨害ないし牽制を目的とする抗議行動であり、このような抗議行動を行うことによって、組合員の団結を固め、志気を高め、気勢を盛り上げて、ストライキに突入しようとするものであるといえる。

(4) 溝田業務課長に対する抗議行為―原告吉岡、同中村、同原田関係

ア 昭和五〇年一一月二七日午後四時五五分頃から、支部組合員約七〇名が溝田業務課長席のまわりにつめかけ、同課長に抗議すると共に、同課長の業務を妨害した。

すなわち、同日午後四時五五分頃、多数の支部組合員が業務課長事務室内に入って来て、執務中の溝田業務課長席につめかけ、同課長席を取りまいた。

組合員の数は、約七〇名に達したが、溝田課長の机の正面最前列に原告吉岡、坂田雄一(電子計算分会長)、大津啓(支部執行委員)及び原告中村が立ち、机の前面右角のところに原告原田、机の右横に宮本支部書記長、課長席の後側に徳永達郎(支部青年部長)、竹原信博(支部執行委員)、原告石丸らがつめかけて立っていた。

溝田業務課長の正面に立った大津執行委員が「課長に話がある。」と言ったので、溝田業務課長が立ち上がって、全員に「職場秩序紊乱の集団抗議には応ぜられない。直ちに解散しなさい。」と言って、再三解散命令を発したが大津執行委員が「解散せよとは何か。」とどなり返し、口々に「何を言うか。」などと言った。宮本書記長は「お前は二五日の四時二〇分に何をしたか。」と言い、原告原田は「お前は横着だぞ。」と言い、坂田分会長は「このがきが。」と二回くり返して言った。徳永青年部長は、溝田業務課長の耳もとに口を近づけ、「お前はなんかおとなしいような振りをしているが、不当労働行為をしたな。お前のような奴は長崎へ帰れ。」などとどなりつけた。

同日午後五時になり、進行管理会議の時刻になったので、溝田業務課長は「進行管理会議に行かなければならない。道をあけなさい。」と言って、机の右側から出ようとしたが、宮本書記長、原告吉岡、大津執行委員、徳永青年部長らが立ち塞がって、溝田業務課長の進行を阻んだ。

右集団抗議が行われている間、溝田業務課長、加藤管理課長、森川次長らは、再三解散命令を発したが、組合員らは解散せず、同日午後五時五分になって漸く解散した。

イ 右集団抗議が行われていた間、原告吉岡は終始溝田業務課長の机の正面、最前列に立って抗議し、さらに溝田課長が進行管理会議に行くのを妨害するなど、右集団抗議において主要な役割を果たし、原告中村は終始溝田課長の机の正面最前列に立って抗議し、溝田課長が進行管理会議に行こうとしたとき、その進行方向に場所を移動するなどして、右集団抗議において主要な役割を果たし、原告原田は溝田課長の机の前面右角のところに立って、「お前は横着だぞ。」などとば声を浴びせて抗議し、溝田課長が進行管理会議に行こうとしたとき、その進行方向に場所を移動するなどして、右集団抗議において主要な役割を果たしたものといえる。

ウ ところで、右に述べた溝田業務課長に対する集団抗議は、溝田課長が昭和五〇年一一月二五日の午後四時すぎ、業務課の係長会議で、ストライキは違法だから参加しないようにと注意したことに対する抗議であり、溝田課長に謝罪を求めようとするものであった。

このように、右集団抗議は、本件ストライキの実施を目前に控えて、溝田業務課長の係長会議における違法なストライキには参加しないようにとの当然の注意に対し、ことさらに抗議し、謝罪を求めようとするものであるが、同時に、このような集団抗議行動を行うことによって、ストライキ突入のために組合員の結束をより強固にし、志気を鼓舞し、当局側のいかなる措置をも排除して、ストライキを実行するとの、断固たる決意を表明するものであったといえる。

エ なお、業務課、会計課、各貯金課ともに、終業時刻は午後五時一五分であり、業務課、会計課は午後四時五五分から、各貯金課は午後四時五〇分から、いずれも休息時間とされていたので、右集団抗議は終業時刻前の休息時間内に行われたものであるといえる。

(5) 昭和五〇年一一月二九日の第三貯金分会の集会―原告本田関係

昭和五〇年一一月二九日午後〇時一分から三分までの間、第三貯金分会に所属する第三貯金課第三原簿係の職員約一五名は、第三貯金課事務室内の第三原簿係付近で集会を開いた。第三貯金課長井手政夫が福田分会長に解散命令を発したが、原告本田は、右解散命令に応じず、右集会において、同年一二月一日実行予定のストライキの注意事項について、集合場所、スト解除の際の注意など、打合せどおりやるようにと言って、分会員を指導した。

(6) 昭和五〇年一一月二九日の玄関前の集会―原告東矢、亡金原関係

ア 支部は、本件ストライキ突入の前日である昭和五〇年一一月二九日(土曜日)午後〇時三〇分頃から、庁舎玄関前広場において、支部全体による総決起集会を行った。

最初に原告家入(副支部長)が開会のあいさつをし、つづいて原告東矢が、スト権奪還闘争の状況、同月二六日以降の公労協の統一ストライキの一環として、支部は同月三〇日、一二月一日の二日間、四八時間のストライキに突入することを報告し、「全員自信をもって闘い抜こう。」と演説し、最後に同原告が「それでは解散する。最後にスト権奪還の決意をこめて、団結がんばろうを三唱したいと思います。御唱和をお願いします。」と言って、右手こぶしを三度ふり上げて、団結がんばろうを三唱し、全員がそれに唱和して拍手し、前同日午後〇時三八分集会は解散した。

イ 加藤管理課長は、解散命令を発するため右集会の現場に行こうとして、玄関に降り、玄関左側の自動ドアから外に出て、話をしている原告東矢の方に行こうとしたところ、亡金原と嶋田支部執行委員が加藤課長の前に立ち塞がり、同課長の進行を妨害した。

加藤課長は、やむなく玄関の柱の付近から、「責任者は東矢君か。」、「東矢君解散させなさい。」と大声で三回叫んだ。

すると、亡金原が、大声で「東矢君とは何か、加藤君。」と言い、嶋田執行委員も「交渉をやりましょうや、交渉を。」と言って騒いだ。

亡金原の右行為は、原告東矢の話を最後まで続けさせ、総決起集会を成功させるために、加藤管理課長の解散命令を妨害したものであり、原告東矢の指導行動を補助するものであるということができる。

4  以上認定した事実によると、原告らの行為のうち、本件ストライキに参加した点は、公労法一七条一項前段(争議行為の禁止)、国公法九八条一項前段(法令に従う義務)、同法九九条(信用失墜行為の禁止)、同法一〇一条一項前段(職務専念義務)に違反し、同法八二条各号(懲戒処分のできる場合)に該当し、前記3で認定した昭和五〇年の本件ストライキに際して行った各行為は、公労法一七条一項後段(争議行為のあおり等の禁止)、国公法九八条一項(法令及び上司の命令に従う義務)、同法九九条に違反し、同法八二条に該当し、これらについての各原告に関する法令の適用は、それぞれ抗弁6(一)、(二)のとおりであると認められる。

5  その方式及び趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正な公文書と推定すべき(証拠略)並びに(人証略)によれば、本件ストライキによって生じた業務阻害の状況は別紙業務支障状況表記載のとおりであると認められる。

三  再抗弁(本件ストライキないしその際に行われた各行為の違法性・有責性についての原告らの主張)について判断する。

1  原告らは、まず、本件懲戒処分の根拠となった公労法一七条が、憲法二八条に違反し、無効であると主張するが、同法が合憲であることは既に最高裁判所の確定した判例であって(最高裁判所昭和三〇年六月二二日大法廷判決刑集九巻八号一一八九頁、同昭和四一年一〇月二六日大法廷判決刑集二〇巻八号九〇一頁、同昭和五二年五月四日大法廷判決刑集三一巻三号一八二頁参照)、当裁判所もこの結論を変更する必要を認めない。なお、全逓東京中郵判決(最高裁判所昭和四一年一〇月二六日大法廷判決刑集三一巻三号一八二頁)は、同盟罷業や怠業のような単純な不作為を刑罰の対象とするについては、特別に慎重でなければならないといい、これを受けた都教組判決(最高裁判所昭和四四年四月二日大法廷判決刑集二三巻五号三〇五頁)は、争議行為のあおり行為等を処罰の対象とする地方公務員法の規定について限定解釈をおこなっていることから、懲戒処分に関しても、争議行為の態様によっては、国民生活に及ぼした影響がそれほど大きくない場合、また、争議行為が単純な労務不提供にとどまる場合等には、当該争議行為は公労法一七条一項の禁止する争議行為には該当しないと限定的に解釈すべきであるとの見解もあり、原告らもこの立場に立った主張をしているものと思われる。しかし、公労法が争議行為を禁止しているのは、財政民主主義の原則により公共企業体等の職員は争議行為により勤務条件を決定しうる地位になく、かつその職務は公共性を有するので、その争議行為により国民全体の共同利益に重大な影響を及ぼす惧れが生ずるからである。すなわち、争議行為を行うこと自体が職務の地位の特殊性及び公共性に反し、国民全体の利益に反するので、公労法一七条一項は公共企業体等の職員の争議行為を全面的かつ一律に禁止しているのであって、そこには限定的な解釈を容れる余地はない(全逓名古屋中郵判決、最高裁判所昭和五二年五月四日大法廷判決刑集三一巻三号一八二頁参照)。

2  次に、原告らは、公労法違反の争議行為であっても、これに対して懲戒罰を課することは許されないと主張するので検討する。

(一)  原告らは、公労法の争議行為禁止規定に反する争議行為に対して懲戒処分を課するのは、必要な限度を超えたものとして憲法二八条、一八条に反すると主張する。この点につき前記全逓東京中郵判決は、労働基本権に対する制約が合憲とされる条件として、制限違反者に対して課せられる不利益については、必要な限度をこえないように十分配慮せらるべきで、とくに刑事制裁を科することは必要やむをえない場合に限られるべく、同盟罷業・怠業のような単純な不作為を刑罰の対象とするについては特別に慎重でなければならないといい、公労法一七条一項が合憲であることの理由のひとつとして、争議行為禁止が違法であるというのは解雇及び損害賠償責任を免れないとの意味においてであるとしていることは原告らの指摘するとおりである。しかし、右見解は刑事罰に関するものであって、懲戒処分を念頭に置いたものではなく、また、懲戒処分が刑事罰と根本的に異なるものであることは、後記3のとおりである。しかも、前記全逓名古屋中郵判決は、公労法一七条違反の争議行為と刑事罰との関係につき、「民事法上の効果と区別して、刑事法上に限り公労法一七条一項違反の争議行為を正当なものと評価して当然に労組法一条二項の適用を認めるべき特段の憲法上の根拠は、見いだしがたい。」といい、公労法一七条一項違反の争議行為について、原則としてその刑事法上の違法性が阻却されるとした点において、全逓東京中郵判決は変更を免れないとしているのであって、当裁判所もこの見解に従うのを相当と考える。したがって原告らの主張はその前提を欠き理由がない。

(二)  原告らは、集団的労働関係にかかる争議行為に対して、個別的労働関係にかかる懲戒処分をなしえない旨主張するが、なるほど、労働者の争議行為は集団的行為ではあるものの、その集団性のゆえに、参加者個人の行為としての面が当然に失われるものではない以上、違法な争議行為に参加して服務上の規律に違反した者が懲戒責任を免れないことは明らかであって、この点に関する原告らの主張も理由がない(最高裁判所昭和五三年七月一八日第三小法廷判決民集三二巻五号一〇三〇頁参照)。

(三)  原告らは、違法の相対性及び違法効果の最小限の原則からいって、公労法上違法な争議行為であっても国公法上は違法でなく、公労法一八条の解雇以外に国公法上の懲戒処分をなしえないと主張する。しかし、公共企業体等の職員は、前記のとおり、その争議行為により適正な勤務条件を決定しうるような勤務上の関係になく、かつ、その職務は公共性を有するので、全勤労者を含めた国民全体の共同利益の保障という見地から、公労法一七条により、その争議行為が禁止されているものであり(前掲最高裁判所昭和五二年五月四日大法廷判決参照)、他方、国公法上の懲戒規定は、公務員関係の秩序維持を目的としているものであるところ、全体の奉仕者たる公務員にとって、国民全体の共同利益の保障は当然公務員関係秩序の維持と密接に結びついているものである。そうすると、公労法の争議行為禁止規定と国公法の懲戒規定は、その趣旨・目的を同じくするものであり、結局、公労法上違法な争議行為は、国公法上も違法というべきである。なお、公共企業体等の職員の争議行為の禁止は、右のような趣旨で設けられた法律上の義務であるから、これを労使が集団的労働関係の自主的規制として労働協約によって定めるべきいわゆる平和義務違反の争議行為と同列に論ずることはできない。しかも、もし公労法の禁止規定に反する争議行為が、使用者たる国との関係で違法でないとすると、使用者たる国が公労法に違反する争議行為を理由として公労法一八条の解雇または損害賠償の請求をなしうることも説明できなくなるであろう。したがって、この点に関する原告らの主張も理由がない。

(四)  原告らは、公労法三条一項、四〇条一項、二項、労組法七条一号本文等を根拠に、公労法違反の争議行為に対しては、刑事責任、懲戒責任は問われず、解雇、損害賠償等の民事責任のみを問うのが公労法の趣旨である旨主張している。この点につき、公労法三条一項は、公共企業体等の職員に関する労働関係については公労法に定めるところにより、同法に定めのないものについてのみ労組法の定めるところによると規定し、その際、労組法八条の適用を排除しながら、同法七条一号本文を除外してはいない。しかし、右職員の争議行為については公労法一七条一項にいっさいの行為を禁止する旨の定めがあるので、その争議行為についてさらに労組法七条一号本文を適用する余地はない。公労法三条一項が労組法の右規定を除外していないのは、争議行為以外の職員の組合活動については公労法に定めがないので、これに労組法の右規定を適用して、その正当なものに対する不利益な取扱を禁止するためであって、公労法一七条一項違反の争議行為についてまで正当な行為を認める意味を持つものではない(前掲最高裁判所昭和五三年七月一八日第三小法廷判決参照)。また、公労法違反の争議行為が同時に国公法の懲戒規定に該当しうることについては前記のとおりであって、公労法三条一項、四〇条一項が国公法の懲戒規定まで排除するものとはいえない。したがって、この点に関する原告らの主張も理由がない。

3  最後に、原告らは、懲戒処分を課するには違法性の認識を要件とし、原告らには本件ストライキが違法であるとの認識がなく、当時の社会情勢からすると違法性の認識がなかったことについて相当の理由があったから、原告らの行為に懲戒処分を課することは許されず、すくなくとも裁量権の濫用となる旨主張する。しかし、懲戒処分は、国家公務員の職務上の義務違反、その他、単なる労使関係上の見地からのみでなく、国民全体の奉仕者として公共の利益のために勤務することをその本質的な内容とする服務関係に照らし、公務員としてふさわしくない非行のあった場合に、その責任を確認し、公務員関係の秩序を維持するため課される制裁であり、これに対応してその内容も、免職、停職、減給、戒告といった公務員としての身分に伴う利益の全部または一部の剥奪にとどまるのである。したがって、それは、全体としての法秩序に反する違法行為に対して、一般統治権の作用に基づき科される制裁であるところの刑事罰とは目的・性質を異にし、効果からみても、個人の全人格に対して課せられるところの生命刑、身体刑、財産刑を含む刑事罰とは、おのずと内容において格段の違いがある。そして、かような懲戒処分の目的・性質からして、これを課するかどうか、またその場合、どういう種類、程度のものによるかは、監督権者としての懲戒権者の裁量に委ねられると解されているのである(最高裁判所昭和五二年一二月二〇日第三小法廷判決民集三一巻七号一一〇一頁参照)。懲戒処分の目的、性質及び内容は右のとおりであって、それが公務員関係の秩序維持の観点から課せられる制裁であること、その内容においても公務員関係の身分に関する利益の全部または一部の剥奪に止どまることなど、刑事罰とは本質的に異なっている以上、懲戒処分を課するにつき、刑事罰における場合のように、当該職員の懲戒事由となった行為について、刑法上のそれと同様の意味での責任論の援用を肯定する見解には左袒し難い。よって、この点に関する原告らの主張も理由がない。

4  以上のとおり、本件懲戒処分の違法事由として原告らの主張する点はいずれも理由がなく、また前記認定の本件ストライキに至る経緯(特に昭和五〇年度のスト権スト及びその一環として行われた本件ストライキの経緯・規模等)、支部における原告らの地位、本件ストライキにおける原告らの行為及び原告らの果たした役割、本件ストライキによる業務停廃の状況等に照らすと、本件懲戒処分が社会観念上著しく妥当性を欠き、裁量権を濫用したものと認めることもできない。

四  よって、原告らの請求はいずれも理由がないから棄却し、訴訟費用の負担につき、行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条、九三条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 足立昭二 裁判官 喜多村勝德 裁判官石村太郎は、転補のため署名押印することができない。裁判長裁判官 足立昭二)

(別紙)

一 昭和四九年四月一三日(土)ストによる業務支障状況

<省略>

二 昭和五〇年一二月一日(月)ストによる業務支障状況

<省略>

(別紙) 処分一覧表

東矢徳男 減給六月間

俸給の月額一〇分の一

家入淳 減給五月間

俸給の月額一〇分の一

吉岡栄喜 減給三月間

俸給の月額一〇分の一

金原幹 同右

石丸はるみ 同右

伊豆野吉幸 同右

本田勉 同右

中村豊 同右

原田正士 同右

大山一雄 同右

浅田融 同右

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